1960年代は日本を大きく変貌させる転換期だった。皇太子殿下が平民から選ばれた美智子妃との御成婚(59・4)で、国際化の幕が開き、庶民の間にミッチー・ブームが起こった。 出版社系の週刊誌が次々に創刊され、報道写真も週刊誌を中心に活動し始めた時期に、国の運命を決める日米安保改定阻止運動の嵐が吹き荒れた。 60年6月15日、学生たちが国会に突入する。騒然とした場面を私は首相官邸守衛所の屋上で取材していたが、午前0時の時間切れで国会を通過。これから日本はいったいどうなってしまうのだろうかと、不安と危機感が体中に溢れた。 科学技術のめざましい発達に伴って、大動脈である東名高速道路と新幹線が東京―大阪間に開通(64・10)、東京オリンピック開催(64・10)で、国際化が進み、高度経済成長の黄金期を迎えた。 執筆陣は、まだ若かった大江健三郎氏、安部公房氏、飯沢匡氏、井上光晴氏らであった。 この「現代語感」という連載は、新聞紙上や週刊誌などで数多く使われていた熟語、例えば「高速道路は過密状態に陥った」「学生たちの連帯意識は高く」という記事から「過密」「連帯」などの漢字二文字の言葉をテーマにした写真とエッセーの競作社会時評だ。 総人口が一億を超えて、ロカビリー、坂本九「上を向いて歩こう」、舟木一夫「高校三年生」が大流行。「おめえヘソねえんじゃねいか」など、変なCM用語が氾濫した。 あれから35年が過ぎたが、流行語もカタカナ語が多くなった。 赤軍派の日航機よど号ハイジャック事件など、目的意識を失ったまま日本万国博覧会が開催される。波乱の嵐が吹き荒れた60年代も、これを境にして幕を閉じた。 「現代語感」は、写真で何を語れるか、という写す行為と視点の楽しさを改めて味あわせてくれる。私にとって「至福」の時間なのだ。 |
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|